3月のぱどま堂お知らせ

暖冬の影響?最近、野菜が巨大化してるなーと思いながら八百屋さんに行くと

人参、でかっ!

紅人参、なななんと

100円!

しかも大きさで誤魔化さない味!物凄く甘い。

毎日ターメリックで和えて(←いま、これ大事!)ジーラとメティとチリで炒めてますが、食べても食べても無くならない。

毎日美味しい。毎日幸せ。

小さい事かもしれないけど

幸せは何時でも近くにあるね。

さ、今日も食べよう!

ぱどま堂はスパイス料理で花粉症緩和大作戦、オススメしてます!

外食もスパイス料理!

骨付きマトン&ブラウンライス。パキスタン料理ですよ

3月のぱどま堂は不定休となっております。ご予約の際は、ご希望のお日にち・お時間をお知らせください。
お問い合わせは→ぱどま堂

ぱどまの会・ヨーガ教室
3月28日(土)14時~小金井市・宮地楽器ホール和室
(3月はホール臨時休館のため中止となりました)
4月19日(日)14時~小金井市貫井北分館
5月2日(日)14時~小金井市貫井北分館
詳細&お問い合わせは→ぱどまの会


手食いの前には手を洗う

今年はインフルエンザの患者さんが、昨年より
400万人減少!という発表がありました。

原因は2つ。
ひとつは、今年は暖冬のため例年よりも湿度が高いこと
そしてもうひとつは
多くの方が、手洗いを徹底しているからだそうです。

400万人減、ってすごいですね。

そういえば、インドでは食事の前後、石鹸を使って徹底的に手を洗うことが習慣化しています。
小さなレストランにも手洗い所がついてます。

スプーンやフォークではなく「手」を使って食べるからかもしれませんが、

もしかしたら、頻繁に流行していた感染症を予防するための
先人の智慧、アーユルヴェーダの智慧
だったかもしれないな~
そんな事を思いました。

ぱどまの会ヨーガ教室「まずはヨーガからはじめよう」
3月28日(土)14時~(残席僅かです)
(3月はホール臨時休館のため中止となりました)
4月19日(日)14時~
お問い合わせは ぱどま堂 または ぱどまの会

初氷と梅の花

水琴窟に氷がはっていました。東京も寒くなりました。

でも少しだけ日が高くなると・・・

梅の花がちらほら。

2月のぱどま堂お知らせ

こんにちは。

巷ではモヤモヤが広まっている今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか?

「子供の前・夫の前・妻の前では不安になっちゃいけないですよ!」
「この子のために、この人のために」
「私が頑張んなきゃ!」
そう思って踏ん張っている方。沢山います。
そうですね。大事な人の為に頑張りたいね。

でも頑張り屋さんも、やりすぎが続くと疲れます。
もちません。

誰でも、知らない事はもの凄く怖いです。
誰でも、訳が分からない事はもの凄く不安です。
でも怖いとか不安とか言うと、弱い人間に見えてしまう。
だから皆、言えない。隠して強いフリをしてしまう。
大丈夫なフリをしてしまう。

頑張りを、努力を、長く続けるために
フリをやめて、少しだけでも良いので
素直な自分の気持ちをゆるして出してあげるのも
大事な方への優しさの現し方かもしれませんね。
弱くても、いいんだよ。
弱いのを認めるのって、ホントは強いんだよ。

2月のぱどま堂は不定休となっております。ご予約の際は、ご希望のお日にち・お時間をお知らせください。
お問い合わせはこちら→ぱどま堂

ぱどまの会・ヨーガ教室
3月28日(土)14時~16時 小金井市・宮地楽器ホール和室
(3月はホール臨時休館のため中止となりました)
詳しくはこちら→ぱどまの会

AYUSH(インド伝統医学省)が先日、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、ユナニ医学によるウイルス感染予防方法を発表しました。
この中の、鼻に油を入れる治療(ナスヤ)をぱどま堂では随時行っております。風邪予防のほか、花粉症予防にも効果的です。
またトリカトゥ+トゥルシーの利用方法もお越しの方にお伝えしています。
詳しくは堀田まで!お気軽にお申し付けくださいね。

Advisory to recess the symptoms of respiratory tract in possible Corona virus infected cases

2019年ありがとうございました

令和元年、年の瀬です。

今年も色んな事がありました。

移転前最後の仮住まいに引っ越ししたり
学会でアーユルヴェーダの発表をしたり
銀婚式を奉告したり
御山を巡ったり、神社仏閣を巡ったり

愉しい事、悲しい事、嬉しい事、辛い事、
山あり谷あり、

色んな変化があった1年でした。

私は変化に身を任せるのが、苦手。
だから変化があると「経験はものを言う!」みたいに過去の引き出しを沢山ひっぱりだして、似たようなものを当てはめて、乗り切ろうとしてしまう。

でも、今年の台風で未曾有の出来事が繰り返されるのを目の当たりにしたり
身の回りに起きた様々な出来事を振り返ると

経験はものを言わない、

それも有ると思い始めました。

経験がものを言わないと、怖い。ずっとそう思ってたけど
「経験済み」という小さな枠の外には、まだまだ広い世界があると思うと
変化に身を任せるのも、ワクワクできるかもしれない!

来年は、もっと身を任せられるように、なりたいですね!

本年も、ぱどま堂・ぱどまの会が大変お世話になりました。ありがとうございました。
来年も皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
よいお年をお迎えください。

ぱどま堂ブログ お引越ししました。
お気に入りなどに登録の方はご変更をお願いします
https://padmado.hatenablog.jp/

ぱどま堂は12月29日~1月6日までお休みとなります
1月のスケジュールはメールでお問い合わせください

ぱどまの会ヨーガ教室「まずはヨーガからはじめよう」
1月12日(日)16:00~小金井市貫井北センター北町ホール
2月1日(土)14:00~宮地楽器ホール地下和室
参加費:各日とも2時間 ¥2500
お問い合わせ:ぱどまの会 padomanokai@yahoo.co.jp

12月のぱどま堂お知らせ

12月4日(水)、インド政府AYUSH省によるアーユルヴェーダ&ヨガセミナーがインド大使館で行われ、九段下まで行ってきました。

インドは出生率が高いので日本と違い若者が多い、だから将来安泰、という私の価値観はもう古いんですね~
インドも日本同様、近い将来、少人数で高齢者医療を賄う時代がやってくるようです。(確かにインドやスリランカで知り合ったマダムの年齢をきいたら80代だった!ということ、あります)
だから、今すぐには出来ないかもしれないけど、現在30代・40代の人々が高齢者となった時の医療費が今より少なくて済むように、インドでも日本でも、アーユルヴェーダのハーブを利用したり、また特に日々の生活を変える(ディナチャリア)努力をすすめていこう!というお話が多くのドクター達より繰り広げられました。

「死ぬとき後悔しないように生きましょう」

登壇された或る先生がおっしゃっていましたが、
そうなんです、
アーユルヴェーダは医学ですが、あれはOK、これはダメ、というパキっとした内容ではないんですよね。
わりと中庸で曖昧なんです。
製薬にしても良い部分だけ取り出して使うことはなくて、無駄な部分も含めて使う。洗練されてないんです(←褒めてます)。
だから今直ぐ結果が見えないけど、ず~っと続けた時、ああこの為だったのかと思える、一生続けていると、ああ良い人生だったと思える、そんな智慧が沢山つまってます。

取っ付きやすくて、奥が深い。

結果が直ぐでないからヤキモキするし、投げ出したくなるけど、楽しんで耐えて頂ければ必ず大きなものが得られます。

あ!これ、いろんな事に当てはまるかも。

マハバラータの乳海攪拌

12月のぱどま堂は不定休で営業しております。
お問い合わせ・ご予約はメールにて承ります。
鍼灸治療と併せて
アーユルヴェーダトリートメントも行っております。
年内は28日まで営業しておりますので
年末行事でクタクタになった時
大掃除で腰が痛くなった時なども
どうぞお気軽にお問い合わせください。
お問い合わせページはこちら

只身心を仏法になげすてて 更に悟道得法までをも望むことなく 修行するを以て是を不染汚の行人といふなり

タイトルは正法眼蔵随聞記の言葉です。
或る人に信じてもらえてないと悲しくなることがありました。怒って、悲しくて、寂しくて、泣いてしまいました。(本当に辛い時は心から「ダメでもいいにゃ~」とはいかないものです)
その時「修証義に学ぶ」(現代教養文庫)にこの言葉があることを思い出しました。
悟り・証・成長を望まない修行(=不染汚の行)。
言うは易し、行うは難し、です。人間はいつでもどんな場所でも成長を目的にして行動しますから。
でもこの言葉の後に書いてあった一節を読んで、少し腑に落ちるものがありました。
備忘録として書き留めておきます。
「恋愛」「恋」の部分を、仕事とか、子育てとか、介護とか、修行とか、峯入りとか、自分の今の悩みにあてはめてみると分かりやすいかもしれません。

 私たちは恋愛によって、「成長」する。恋は成っても破れても、とにかく恋愛によって「成長」する。しかし、成長のために恋愛するのは、恋愛ではなく恋愛の実験(エキスペリメント)である。成長の目的が意識にある限り、その恋愛の経験は根底に徹することができない。成長も破綻もこの恋に代えられなくなるとき、恋愛ははじめて身に染みる経験となる。そうして、その恋の結果として私たちは成長するのである。

 これを一般的の言葉に移せば、私たちは成長の目的を意識せずとも、すべて与えられた経験に深入りすることによって成長する。これに反して、成長の意識は一度具体的経験の深みに陥って死ななければ、その目的を実現することができない。成長の欲望を一度殺してよみがえらせることを知っているものでなければ、人生における個々の経験の意味を汲み尽くすことができない。その人の精神的生活の中心は永久に「成長の意識」に在って、経験内容の意識に移ることができないからである。

理不尽な事が生じたとき、低い評価を受けた時、身を任せて深みに陥ってみる。そこで苦しむ。死んでみる。そしてグチャグチャになってからよみがえる。

成長したいと意識して上ばかり見ていても、それは逆のようです。
理不尽も低評価も誹謗中傷も、もらえる時はもらっておいたほうがいいのかなあ。

そう考えると、ちょっと落ち着きました。

さ、次にいこ~っと!